この付近はかって死者を埋葬する際の野辺送りの場所だったそうです。
この世とあの世の境といわれていたそうです。
全ての生き物が生前の善悪の行いによって必ず行くとされてる地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6種の冥界の事を六道の辻といったそうです。
篁の亡霊が,珍皇寺門前の六道の辻からに冥府に通ったという伝説があるそうです。
小野篁は遣隋使を務めた小野妹子の子孫で、父は小野岑守。孫に三蹟の一人小野道風がいるそうです。
篁は夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという。
昼は嵯峨天皇、夜は閻魔大王に仕えた小野篁が冥土へ通った入口であったという伝説の残る井戸です。
この井戸は、京都嵯峨の福生寺(生の六道、明治期に廃寺)と京都東山の六道珍皇寺(死の六道)にあったとされいるそうです。
また六道珍皇寺の閻魔堂には、篁作と言われる閻魔大王と篁の木像が並んで安置されているそうです。
麦芽糖でつくった琥珀のような美しいこの飴が何故このような怖い名前なのか。
それは慶長四年。夜な夜なこの店に飴を買いに来る女がいて、不審に思った店主がその女の後をつけていくと、墓場であったそうです。
赤子の鳴き声のする墓を掘り返してみると女の死体と一緒に生きている赤子がいたそうです。
この赤子を助けた後は、女が飴を買いに来ることはなくなったとのこと。
いつしか誰ともなく、この飴を「幽霊子育飴」と言い始めたとのことです。
飴は素朴な味でおいしかった!
六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所だそうです。
当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたそうです。
行った時には、国宝の仏像が展示してあり、多くの方が訪れておりました。
今回初めて訪れた京都のミステリーゾーンでした。
皆さんもいかがですか?
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