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07月

山梨県古民家鑑定士、香川県にある古民家がある『四国村』探訪その2

P1020092 旧 中石家住宅納屋です。

扉が閉められており

内部がよくわかりませんでした。

鍵が掛かっているようでしたので

何か入っていたのでしょうか???・・・

P1020114  旧中石家母屋です。

平家の落人村として有名な祖谷(いや)の民家です。

平国盛の子孫といわれる阿佐家に近く、険しい山肌に、しがみつくように建っていたそうです。

母屋18坪、隠居屋13坪、納屋8坪、いずれも茅葺降ろしで、18世紀後半の建築とみられているそうです。

P1020100 旧中石家隠居屋です。

母屋、隠居屋、納屋が一列に並んで建ち、祖谷の民家の特徴を現しているそうです。

母屋、隠居屋は土間のない二間取りになっていました。

部屋にイロリがとってあるのは、寒い祖谷地方の特徴だそうです。

父親が隠居して、長男に世帯をゆずると、隠居屋に移り住んだのだそうです。

P1020120 旧丸亀藩御用倉です。

丸亀藩御用の米倉で、金毘羅参詣絵図にも太助燈篭と共に描かれているそうです。

内部の柱の一部にある墨書きで江戸時代後期の建築と思われているそうです。

また 米俵の数取りに使った「玉」の字の落書きも見られたそうです。

P1020130 旧三崎の義倉です。

義倉とは、平時に稲や麦を貯蔵しておいて、飢饉の際には種籾や食料の補助として支給する制度だそうです。

奈良時代には、すでに制度化されていたそうですが、その後廃絶したが、江戸時代になって再び復活し、各藩に設置されるようになったそうです。

この義倉は昭和15年頃まで機能しいたそうです。しかしその後維持管理が困難となり、ここに移築復元されることになったそうです。

P1020142アーチ橋

昔の金毘羅街道沿いにあったアーチ橋は、角閃安山岩で作られているそうです。

この石は、古墳時代には畿内に運ばれ、石棺にも使われたそうです。

明治34年に築造されたものだそうです。

P1020137  アーチ橋と同じ石でつくられた石倉です。

旧福井家のものだそうです。

明治中頃に造られたもので、四国では大変珍しく、当時としては贅沢なレンガを床に張ったモダンな建物だそうです。

今でも全く狂いが無く技術的にも卓越した石工の作品だそうです。

でも中を見る事が出来なかったので残念です。

P1020147 醤油倉・麹室です。

讃岐の醤油造りは、文化年間(1810頃)に小豆島を中心に興り、東讃の引田(ひけた)、西讃の仁尾などの地域で盛んになったそうです。

香川県は、明治中期から昭和10年にかけて、全国第二位の生産量だったそうです。

ここに移築復元された建物は、引田町の醸造家で長年使用さてれきたものだそうです。

建物の一部には、18世紀後半頃とみられる梁材がそのまま使われているそうです。

P1020175 小豆島の警鐘台と消防屯所、石倉です。

奥に見える石倉は、大阪に出て事業に成功した、藤原兵太郎氏が大正4年に建造されたそうです。

茨城県稲田産の花崗岩を取り寄せてつくられたそうです。

P1020173  かつて天皇のお写真を入れた奉安殿を思わせるような建物だそうです。

今の貨幣換算すると4千万円以上かかったようです。

切り石積、鉄扉両開、軒蛇腹付陸屋根は、異色な建物であったようです。

四国にも、有名な大阪城にも使われた石があるのに、わざわざ遠くから運んできたのですね!

P1020176旧前田家土蔵です。

高知県布師田に、明治初期に建てられた土蔵です。

間口3間、奥行2間、壁に7寸の暑さに土を塗り、その上を漆喰で仕上げてあるそうです。

屋根は鞘屋根いって二重になっていて、近所の家事の火の粉や大雨から土蔵を守っていたそうです。

このような土蔵は平野部に多く、漁村や山間部ではあまりみられなかったそうです。

P1020212 旧吉野家住宅です。

この家は、切妻造本瓦葺12坪、宿組みなどの部材はすべて手斧で削られ梁と大黒柱は特に頑丈に造られていました。

上がり端の床は、漁でぬれた着物や道具の露を落とす為竹のすのこ張りになっていました。

周囲の石垣は強風を防ぐ役目をしているそうです。

これらは、生活の中から生まれた漁師の家の特徴だそうです。

P1020254 異人館ワサ・ダウン住宅

明治38年にイギリス人ワサ・ダウン氏の住宅として建てられたものだそうです。

寄せ棟造り桟瓦葺き、2階建てで、下見板張りペンキ塗

になっています。

兵庫県神戸市にあった明治後期の洋館の特徴をあらわしているそうです。

P1020232 茅葺の農家を移築したうどん店

『わらや』です。

香川県のおいしいうどん店の中にも登場するほど

うどんのおいしいお店です。

丁度お昼頃になりましたので入って見ました。

P1020246 これは生しょうゆうどん大です。

甲府あたりにある讃岐うどんのお店の大は、そんなに多くないので大を頼んだら、結構な量でした。

こしも有り

のど越しもよく、おいしくいただきました。

P1020243これはざるうどん並です。

これまで食べたうどんの中では

一番おいしいと思いました。

そこで、早速おみやげでうどんを買い

宅配便で送ってもらうことにしました。

平日でしたが、結構お客様が入っておられました。

山梨県古民家鑑定士香川県にある『四国村』の古民家探訪

P1010930  旧江崎燈台退息所です。

江崎燈台は、瀬戸内海の難所といわれる明石海峡を望む、淡路島の北端にあったそうです。

P1010934 明治4年英国の技士ブラントンによって設計された退息所も、燈台と同じように花崗岩の切石を積み上げて堅牢につくられていたようですが、平成7年の阪神淡路大震災によって屋根瓦が落ち、壁面に亀裂が入った為、取り壊され四国村に移築復元されたそうです。

P1010947 旧鍋島燈台休息所です。

坂出市の沖合い鍋島にあったそうです。

江崎燈台と同じく、英国の技士ブラントンが設計し、明治6年に竣工し、この建物は昭和30年頃まで本来の宿舎として使用されてきたようですが、その後は海上保安本部の通信施設として使用されていたそうです。

P1010950

正面の6本の円柱と屋根瓦のバランスは素晴らしいものです。内部の天井は板張りで、暖炉のある部屋、畳敷きの部屋などがある和洋折衷型の建築学的にも貴重な建物だそうです。

P1010969旧クダコ島燈台退息所です。

愛媛県松山市の沖、クダコ水道にあったそうです。

P1010974 明治36年に竣工しましたが、燈台の無人化に伴って、この退息所が不用になったため四国村に移築復元したそうです。

この建物はレンガ造で、外壁がモルタル仕上げ、屋根は桟瓦葺きだそうです。

内部は左右二つに分け、に家族用にし、押入れ付き和風の部屋が配してありました。外観洋風、内部和風の不思議な建物でした。

P1020008 楮蒸し小屋です。

土佐は高級和紙の産地です。

伝統の和紙づくりのため、楮や三椏を釜の上に積み込んで蒸すのがこの小屋だそうです。

寄せ棟造り茅葺で間口3間、奥行き2間。かまどのつくりと大桶フタの上げ下ろしの装置が特徴だそうです。

P1020015 紙作りは、切りそろえた楮や三椏を束にして釜に立て、上から桶をかぶせて蒸す。

取り出して皮をはぎ、黒皮を取り、水に浸して白皮をモチにして叩解棒(こうかいぼう)でたたくのだそうです。

最後に水に入れてすくい上げ、紙にすく・・・・・・という

とても手の掛かる作業だったそうです。

P1020058 旧下木家住宅です。

剣山の北斜面、つるぎ町にあった山村農家だそうです。

正面にのみ戸口を開いており、他の三方は壁で閉ざされておりました。

オモテの前面に縁側が設けてありました。

太い梁を組んだ空間構成は力強く、魅力的でした。

イロリ、かまど、自在鈎など現在では懐かしく思える建物でした。

P1020065 添水唐臼(そうずからうす)です。

穀類を精白する為に臼に入れて杵で搗く方法は、古くから行われてきたようです。

のちに足を使う唐臼で搗くようになり、やがて水力を利用した水車に変わってくるそうですが、水車には相当の水量が必要であり、製作も大仕事で思うようにいかなかったようです。

当時、水が少ないところでは、個人又は隣近所が共同利用したのが添水唐臼で俗にソウズと呼ばれていたそうです。

誰にでも簡単につくる事ができ、水が少なくても時間をかけると精白できる貴重な道具なのだそうです。これは昭和30年頃まで徳島県一宇村(いちゅうそん)に残っていた唯一の遺構を復元したものだそうです。

P1020075 旧久米通賢宅です。

江戸時代から、讃岐は塩どころとして知られていたそうです。

全国の塩の生産量の半分を近くを占めていたのが、坂出塩田なのだそうです。

その基板をつくったのが、久米通賢なのだそうです。

平賀源内とともに、讃岐を代表する江戸時代の科学者の住宅だそうです。

母屋の解体に当たって天井から裏から、測量器具、大砲の鋳型などが発見されたそうです。

四国すごい人材がいたんですね!

山梨県建築士、四国村内にある安藤忠雄氏設計の『四国村ギャラリー』を見学する。

安藤忠雄氏設計の四国村ギャラリーは、外観からは、とても小さく見えます。

山の斜面を利用して入口からは目立たない存在です。

P1010865 中から入口を見ています。

外観写真取り忘れたみたいです。

草刈をしている人がいた為

遠慮してしまったようです。

残念!

P1010868 このように

あまり広くありません。

右手の階段を下りて

受付が有ります。

壁はコンクリート打ちっぱなしです。

P1010872 受付から

階段を見る

今回はかえるの展示とのことです。

ここまでは写真撮影OKでしたが

展示物内の空間はNGでした。

企画展が無い時にはいいのかな~?

企画展より

内部空間を楽しみたかったのですが・・・・

企画展も、小さなスペースに展示されていて良かったですが、四国にまるで関係のない人でした。

P1010873 全上の左側にある

ニッチの展示スペースです。

外国人で、東京に暮らされていて

多くの文豪とお付き合いがあった方が

沢山収集されていたかえる達です。

P1010877ギャラリースペースを抜けて行くと

庭園が見られる場所に出ます。

右手に

水を多用した庭園が

あります。

ここで

コーヒーなど飲みながら

ゆったりした時間を過ごしてみたいと思いました。

実際はそのような施設は無く、訪れる人も少ないようです。

平日のせい???・・・・・

P1010882 庭園に下りる

通路より建物を見た写真です。

多分

遠くから見ても

圧迫感のない建物になっていると思われます。

P1010884 ゆっくりと

下に下りてゆくように

道が作られています。

結構

横に広い建物なんですね。

P1010888 水の出口発見!

ずいぶん建物に近いな~

建物への

水の影響はないのかな?

冬場凍る事は無いのかな?

などと余計な心配をしてしまいました。

P1010883 山の斜面をP1010878 このように生かして水が流れています。

水が上から下に流れていますが

まっすぐではなく、横に導いたりして、とても良い感じです。

水はどこから流れているのかな?

などと思い、庭園散策をしました。

四国村全体が山の斜面につくられているので、足を鍛えておかないと大です!

いまさら遅いのですが・・・・

P1010892 庭園の中ほどから

建物を見た写真です。

見学に行った日は

とても暑く

水の流れる音を聞いていると暑さを忘れます。

P1010899 一番下から

庭園と建物を撮りました。

古民家が沢山ある中に

近代的な建物が目立たないようにある

不思議な感覚も覚えます。

是非、多くの方に見学に行ってほしい場所です。

山梨県古民家鑑定士、四国建物見学『四国の古民家を集めた四国村』

  屋島の展望に行く有料道路手前に『四国村』はありました。

P1010737 浜田の泊屋が入場券売り場になります。

一般が¥800円

四国村内にある安藤忠雄氏設計の

ギャラリーとセットで一人¥1,000円です

企画展をやっておりましたので一人¥1,200円でした。

 もちろんセット券を買いました。

P1010742 ミニかずら橋です。

本物は、けわしい山に囲まれた祖谷にあります。

本物は、山に自生している白口かずらを編んでつり橋をつくり対岸との往来が容易になったとのことです。

これは、鉄線にかずらが巻いてあるような感じでした。

祖谷地方の技術保持者を招いて復元したものだそうです。

P1010755香川県小豆島の小部部落が所有していたものだそうです。

間口6間(11.87m)、奥行き四間半(8.91m)寄せ棟造り茅葺で、全面はかや屋根を切り上げて桟瓦葺き庇としています。

舞台の中央に直径4,72mの廻り舞台があるそうですが、行った日は何も無く、風鈴が飾られておりました。

文久3年のいたずら書きが残されており、それ以前の建物であると言われています。農村歌舞伎の舞台です。

P1010763これは猪垣といわれています。

山地の農村にとって獣類の被害は恐怖であり、猪垣は山畑の作物がイノシシやシカに食い荒らされるの防ぐ為に、畑の周辺を囲う垣根だそうです。

地方によっては、シカベとも言うそうです。

小豆島や阿波の南方では、比較的長大だったそうです。

P1010778 旧山下家住宅です。

香川県の東端、徳島島県に近い山腹にあった農村だそうです。

間口四間半(8.83m)、奥行き二間半(5.01m)、寄せ棟造、茅葺です。

半分が土間、半分が板張りでした。

P1010817_2 旧河野家住宅です。

この住宅は、南予の山間部にあったそうです。

間口六間半(12.62m)、奥行き三間半(6.74m)です。

寄せ棟茅葺で、棟に小さな破風をつけて、入母屋のように見せかけているそうです。

座敷前面に縁側を設けているなどの特徴があるそうです。

P1010827_2 さとうしめ小屋です。

香川県坂出にあった砂糖しめ小屋だそうです。

直径8mくらいの円形です。

ムーミンが出てきそうな建物です。

かわいらしい

P1010829 柱は31本だそうです。

牛に腕木を引かせるために円形なのだそうです。

内部はこんな木組みになっています。

住宅に比べると、結構細い梁が渡っています。

丸い屋根は内側から見ても綺麗でした。

P1010858 四国のおもてなしの心を表す茶堂です。

愛媛県の広見町川上上組が所有していたものです。

間口2間(3.93m)、置く行け一間半(2.95m)

寄せ棟茅葺で、向かって右半分はは土間、左半分は床張りで、この奥に裁断を設け地蔵菩薩を祀る。

お遍路の落書きで一番古いのが嘉永6年のものがあるので、それ以前の建物と考えられているそうです。