ちょっと先になりますが、2013年2月10日(日)11日(月)、東京ビッグサイトにて『住まいの耐震博覧会』が開催されます。 新築・リフォームをお考えの方は、参考になるものがいろいろと展示されますので、行かれてみてはいかがでしょうか。
詳しい案内・招待状は、また追ってきますので、ご興味のある方はお問い合わせください。
TEL.055-233-8873
〒400-0032 山梨県甲府市中央5-2-6
春風萬里荘は、北大路魯山人が、神奈川県厚木市近郊にあった江戸時代中期の大庄屋であった伊藤家の母屋を、昭和の初めに北鎌倉にひらいた星岡窯の母屋として移築され、住居とされていた建物だそうです。
それを昭和40年に、ここ笠間に移築したものだそうです。
この門が道路からの入り口になっています。
このあたりは、芸術家たちが集まり、芸術の村になっているようです。
その中心的な役割になっているようです。
見た目より奥が深く300平米(90坪)くらいある建物だそうです。
外観写真はOKでしたが
内観写真はNGでしたので
とても残念でした。
軒裏にも、竹と丸太の垂木が交互に配置されていたりと、わびさびの世界観になっているような・・・
現代では、材料をそろえるのが大変な感があります。
その道にはその道のルートがあると思われますが・・・
京都龍安寺を模してつくられた枯山水による石庭がありました。
そうです、この庭を見た瞬間、
京都にもこのような庭があったと思い浮かべましたから。
日本の庭の見方が今一つわからないので、ご存知の方、教えてください。
奥御殿とを結ぶ連絡路です。
好文亭の通路はとても狭く作られているました。
これは武器を持った敵が乱入した際、その動きを制限するねらいがあったとされているそうです。
廊下の左側に篠で作った格子窓があります。
外からは窓であることが判らないように工夫されているからだそうです。
奥殿から茶室へ通る2畳の小室でした。
中に小坊主が控えていて、奥と茶の席との連絡にあたったそうです。
室内の杉戸には古今集の和歌が華麗な色紙・短冊に書かれてありましたが火災により損傷した為、原画は藩医小松玄甫、復元は東京芸術大学の先生があたられたそうです。
18畳の総板張り(漆塗り)の広間です。
斉昭は藩内の家臣(80歳以上)、庶民の老人(90歳以上)を招いて慰労の催しをされたそうです。
いったいその時代長寿の人は、何人くらいいたのでしょうか?
不思議だ・・・・
藩主が来亭して、この室にいるときは、何かと用務もなさっていたらしい。
部屋には床の間を設けず、竹の柱だけを下げ、極めて簡素に作られていた。
でも天井は格天井でした。
左右の間が見えるようにしてありました。
現代のような網戸の無い時代に、よく考えたな~と感心しました。
自然の材料を利用して作るなんて、考えた人は素晴らしい!
軒下に敷き詰められた黒石は和歌山県の那智石だそうです。
ガマの背に似た斑紋があるのでガマ石と呼ばれる大きな履脱石は、2.4m×1.6mあり谷田の羅漢寺にあったものをここに移設したとされているそうです。
斉昭自筆の『好文亭』の扁額が掲げられています。
東西3間、南北6間あるそうです。
天井は杉皮網代張りなのだそうです。
とてもダイナミックな網代でした。
ここで文墨雅人がよく集まり詩歌を作り書画を揮毫したそうです。
西塗縁の北側に接している四畳半の一室です。
好文亭に招かれた人が少し休んだり、茶席にでる前に、静座してし心気を整える部屋だったようです。
この室から茶室に至るナゲシに、斉昭公の歌が彫れらた円形の板額がかけられていました。
杮(こけら)と柿(かき)の違いわかります?
同じ字に見えますが実は違います。
その違いは、ご自分でお調べください。
薄い板を何枚も重ねて葺いているのです。
これで雨漏りのしない屋根になるなんて
すっごい事と思いませんか?
実際の屋根もこのようになっておりました。
正面8畳の正室になっているそうです。
東南西三面からの眺めは絶景です。
この建物が出来た当時は、遠く筑波のの峰や大洗の松林が望めたようです。
床柱は、島津藩主 島津斉彬(しまづなりあきら)から贈られたサツマ竹が用いられたそうです。
建設当時の建物が火災によって焼失してしまった事は、とても残念です。
このサツマ竹床柱の節は、漢字「武士」の画数にちなんで11個ある
奥御殿とを結ぶ連絡路です。
好文亭の通路はとても狭く作られているました。
これは武器を持った敵が乱入した際、その動きを制限するねらいがあったとされているそうです。
廊下の左側に篠で作った格子窓があります。
外からは窓であることが判らないように工夫されているからだそうです。
奥殿から茶室へ通る2畳の小室でした。
中に小坊主が控えていて、奥と茶の席との連絡にあたったそうです。
室内の杉戸には古今集の和歌が華麗な色紙・短冊に書かれてありましたが火災により損傷した為、原画は藩医小松玄甫、復元は東京芸術大学の先生があたられたそうです。
18畳の総板張り(漆塗り)の広間です。
斉昭は藩内の家臣(80歳以上)、庶民の老人(90歳以上)を招いて慰労の催しをされたそうです。
いったいその時代長寿の人は、何人くらいいたのでしょうか?
不思議だ・・・・
藩主が来亭して、この室にいるときは、何かと用務もなさっていたらしい。
部屋には床の間を設けず、竹の柱だけを下げ、極めて簡素に作られていた。
でも天井は格天井でした。
左右の間が見えるようにしてありました。
現代のような網戸の無い時代に、よく考えたな~と感心しました。
自然の材料を利用して作るなんて、考えた人は素晴らしい!
軒下に敷き詰められた黒石は和歌山県の那智石だそうです。
ガマの背に似た斑紋があるのでガマ石と呼ばれる大きな履脱石は、2.4m×1.6mあり谷田の羅漢寺にあったものをここに移設したとされているそうです。
斉昭自筆の『好文亭』の扁額が掲げられています。
東西3間、南北6間あるそうです。
天井は杉皮網代張りなのだそうです。
とてもダイナミックな網代でした。
ここで文墨雅人がよく集まり詩歌を作り書画を揮毫したそうです。
西塗縁の北側に接している四畳半の一室です。
好文亭に招かれた人が少し休んだり、茶席にでる前に、静座してし心気を整える部屋だったようです。
この室から茶室に至るナゲシに、斉昭公の歌が彫れらた円形の板額がかけられていました。
杮(こけら)と柿(かき)の違いわかります?
同じ字に見えますが実は違います。
その違いは、ご自分でお調べください。
薄い板を何枚も重ねて葺いているのです。
これで雨漏りのしない屋根になるなんて
すっごい事と思いませんか?
実際の屋根もこのようになっておりました。
正面8畳の正室になっているそうです。
東南西三面からの眺めは絶景です。
この建物が出来た当時は、遠く筑波のの峰や大洗の松林が望めたようです。
床柱は、島津藩主 島津斉彬(しまづなりあきら)から贈られたサツマ竹が用いられたそうです。
建設当時の建物が火災によって焼失してしまった事は、とても残念です。
このサツマ竹床柱の節は、漢字「武士」の画数にちなんで11個ある
梅の名所として知られている偕楽園内に建てられたのが、好文亭と奥御殿です。
いずれも 火災により焼失し、現在は復元建築なのだそうです。
だから 古さを感じなかったのかな・・・
中は奥御殿から見学になっていました。
東京芸大の須田珙中(きょうちゅう)・田中青坪(せいひょう)先生の作だそうです。
ここは玄関入ったすぐの部屋で
菊の間です。
三面桃の襖絵の大迫力
ゆっくり見たかったのですが
とにかく時間が無く
残念ながら次の機会に・・・
岩からせり出して咲いている
つつじ
このように咲いている場所があるのでしょうか?
想像の景色?
大胆な襖絵です。
松が松らしくない。
松と言われれば松
みたいな感じです。
この襖絵はダイナミックです。
丁度
これから紅葉を楽しむ季節がやってきます。
紅葉先取り!
すっきりした絵です。
襖の上の欄間
竹を使っているようで
とても趣向のある欄間でした。
満開の桜です。
廊下側からの見学なのが残念です。
部屋の中だと
どんなだろう~と思ってしまいます。
天袋には太陽?
この萩の間とつつじの間・桜の間は藩主夫人お付の婦人たちの詰所だったそうです。
各部屋からお庭を見る事ができます。
奥御殿は、藩主夫人などの休憩の場だったらしいのですが、城中で出火した時の備えともされていたそうです。
見事な襖絵でした。
小瀬スポーツ公園で開催されています。
当社も、山梨県木造住宅協会の一員として
伸縮式の本棚造りのお手伝いをしております。
本棚セット¥500円でした。
かんな削り体験が出来るコーナーがありました。
ここにも、多くの方が参加されておりました。
一般の方は、かんながけなんてしたことないですよね。
良い機会だと思います。
その土地の特産品を持ってきて売っていたり
県内のお店が、自慢の食べ物を売ったりしております。
ちなみに八幡いもや原木シイタケなど
いろいろ買い込んでしまいました。
駐車場は満杯
広いスペースに
人があふれており
こんなに大勢の人は、どこから来たの・・・?
昨日・今日と秋晴れに恵まれ
良かったと思いました。
飲食スペースのテントも張られ
皆さん、おいしいものを召しあがっておられました。
まだ 開催されてますので、お近くの方は見学に行かれませんか?
このデザインされた
階段が
目に入ります。
大人もわくわくします。
子供たちも参加して、皮を剥いたり
磨いたりしたそうです。
子供たちはこの柱に昇りたがるようです。
突き当りは、応接スペースです。
奥に換気扇がありますが
IHのコンロを置いて
調理実習もできるようになっていました。
子供たちの笑い声が聞こえてくるようです。
吹抜けになっています。
デザイン的に
県産材のいろいろな材種の木が
埋め込まれています。
もちろん
材種がひらがなで書いてありますので
子供たちも遊びながら覚えられるようになっています。
階段は蹴上180mm、踏面270mm とっても昇りやすかった。
2階は会議室と先生たちのプールの後のシャワールームがある休憩室があります。
でも子供たちは、階段で遊ぶのが大好きなようです。
3つの部屋が並んでいる廊下兼保育室
この日も、小さい子用に
マットやおもちゃを用意してあり
園長先生と遊んでいます。
我が家から近ければ・・・・・
この保育園に子供を入れたのに
などと思いつつ
無垢の木をたっぷり使った園舎を造る幼稚園や保育園が増えてくれればと思いました。
もちろん 園舎造りにも参加したい!
無垢の建具は
とても柔らかい雰囲気を出しています。
木造校舎で過ごした事の無い世代ですが
ここの園児たちがうらやましくなります。
開閉扉を閉めて
3つに分けたり、
オープンさせて
大きな部屋としても使えます。
園長先生の方針で
あえて手すりは付けなかったそうです。
でも奥の段差がある部分には
朝顔のプランターが並んでいて
子供たちが注意して遊ぶように
配慮してありました。
右奥に見えるのは、シャワーや手洗い場です。
変化に富む空間
ここで育った園児たちは
すばらしい
想像力を持つのではないかと思います。
工事費の3/4が補助金の為、園長先生は報告書の作成に追われているとの事です。
外国のアンティークドアです。
下のガラスは網入りガラスなのですが
網が斜めでも平気でカットされていました。
細かいことは気にしない・・・・のでしょうか?
こんな感じです。
テーブルは、古材で作られているのか
なかなか味わいがあります。
いすもばらばら・・・
オーナーがこだわり集められたものとか。
否か・・・・
なんとも
味わい深い
ランプです。
どこで売ってるの?
・・・・・
夜はどんな雰囲気になるのか
また 尋ねてみたいお店です。
メンバーで
今日の見学会に参加した人達です。
明日は
県産材でつくった幼稚園の見学があります。
カレーとサラダです。
なすとしめじとひき肉の
さらさらカレーでした。
あまり辛くなく
辛いのに弱い私でもおいしく頂きました。
アンティーク食器が
売られておりました。
1枚¥500円の皿から
5枚で¥10,000円のお皿
もっと高いものいろいろありました。
ニッチ風な
飾り棚
アンティークな徳利と湯のみが
妙にマッチしています。
会員さん、みなさんアンティークなお店の雰囲気の中
まったりと食事時間を楽しみました。