山梨県の新築住宅・リフォームなら地元工務店の『山本建築工業』へ

山梨県の工務店・住宅の 「山本建築工業」は自然素材で住宅の設計・施工している会社です。新築からリフォームなど住まいの事についてはおまかせください。

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山梨県インテリアコーディネーター感性を豊かにするため、山梨県立美術館で開催されている『マリー・ローランサンと東郷青児展』を見に行ってきました。

P1210027 山梨県立美術館は

ミレーの美術館として親しまれています。

当時知事だった田辺国男氏と

初代館長の千澤氏により

コレクションンの中心をバルビゾン派とすると方針が決められたようです。

置県100周年記念事業として

ミレーの『種をまく人』の購入が県議会で承認され

ニューヨークのオークションで『夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い』と共に落札されたそうです。

P1210012 公園内には

岡本太郎氏の

樹人

さりげなく置かれていますが

岡本氏の作品は一目でわかります!

P1210016 館内には

晴れた日には

素晴らしい富士山を見る事が出来る

『富士見の窓』

があります。

立ち止まって富士山を見ておられる方が結構おられました。

P1210064_2  マリー・ローランサンと東郷青児展はよかったです。

それぞれが、最初から私達が一般にイメージする女性像の絵ではなかったのです。

マリー・ローランサンの初期の頃の自画像にはビックリしました。

『家具付の貸家』・『女道化師』・『アポリネールの娘』・・・・・・など白い肌にグレーの影

写真で見るより、描かれている女性達が病人に見えてしまうような色使いでした。

『シェシア帽をかぶった女』などの晩年になってから、原色も使われ、顔にはピンクの色が入った絵を見て、こっちの方が私的には好きだなと思いました。

東郷青児さんも17歳の頃に書かれた自画像は、エネルギー溢れる色使いと力強さがありました。

綺麗な女性の絵・淡い色合い・夢見るような大きな目・都会的で少女趣味的な絵ばかりを想像していた私はビックリしました!・・・・

6月24日までやっておりますので、皆さん自身の目で感じてください。

P1210021県立美術館と文学館との間にも作品が展示されています。

ヘンリー・ムーアの

四つに分かれた横たわる人体です。

1972~73年の作品のようです。

あまりに自然に置かれているので、じっくり見ている人はいませんでした。

P1210023これは

エミール・アントワーヌ・アールテルの

ケンタウロスです。

頭が無い!

でも力強さあり!

P1210039 バラ園へ続く道です。

ちょっといい雰囲気です。

ワー!

公園内を見たの初めてです。

散歩している人が何人もいました。

P1210044_2これは、山梨県出身

佐藤正明氏の

ビッグアップルNO45です。

ごらんのように大人の男性が

ずいぶん小さく見えます。

P1210006見る方向によっては

富士山と一緒に

見る事が出来ます。

一面芝生で小さなお子様連れた親子が多数遊びに来ていました。

近くにはいつ出来たのかセブンイレブンもありました。

県民なのに知らない事が多いと思いました。

ソーラーフロンティア太陽光発電システム(8.1kW)を設置しました!

P1180278 倉庫の折半屋根の上に設置できるということで、ソーラーフロンティア製の太陽光発電システム(8.1kW)を設置しました。

P1000015 折半屋根の表面がだいぶ劣化してきたので、この際一緒に屋根を塗装してから設置することにしました。

P1000037 折半屋根の場合は、取り付け方法が何パターンかあるのですが、今回の場合は剣先ボルトに直接架台を設置する方法で取り付けます。実は一番大変な作業がこの部分です。錆びたボルトを折らないように、かつボルト山をつぶさないように既存のナットを取る作業が大変です。

P1000041 先ほどの作業が終わってしまえば、あとはそのボルトに金具を設置していくだけです。今回は70ヶ所ちょっとありました。

P1000525 設置した金具の上に架台を取り付けて、この上に太陽光パネルを設置します。

P1000520 ソーラーフロンティアの場合、パネル1枚あたりの出力(今回のは90W)が小さいため、8.1kWシステムにするのに、90枚ものパネルを設置しなければならないというのが難点です。

P1000539 またソーラーフロンティアのパネルは、1枚あたりの電圧が高いため、3~4枚で1系統としなければならないです。しかもそれをそのまま接続箱に持っていくと、ものすごい量の配線となるため、一度屋根の上で配線を2~4系統を集約させ接続箱に持っていく方法となっています。屋根の上の配線がごちゃごちゃしていて、接続の仕方が非常に悩んだところです。

P1010101 全部パネルを設置するとこんな感じに仕上がります。これだけのパネルを設置しても、8.1kWのシステム容量なので、住宅の屋根にはちょっと不向きなのかなとも思います。ただしソーラーフロンティアの太陽光パネルはコストパフォーマンスが非常によく、発電もしっかりとするので、広い面積を確保できる倉庫の屋根や車庫の屋根などには適しているかと思います。

P1010216 パワーコンディショナー(4.0kW×2台)と接続箱×2台、昇圧コンバーターです。

P1010223 P1010241 パワーコンディショナーが2台あるので、分電盤の接続の仕方がちょっと複雑になっています。

P1040743 表示モニターも卓上用の他に、パソコンや携帯電話からもリアルタイムに見れる「フロンティアモニター」というものがあり、仕事中天気が良いとどのくらい発電しているのかな?って見る事ができます。ちなみに4月5日~30日までの発電状況を撮ってみました。予想以上に良く発電しているかと思います。

パナソニックHIT5.52kWシステム(甲府市I様邸)設置しました!

パナソニックHIT230×24枚=計5.52kWシステムを設置しました!

P1000800 設置前の状況です。

P1000851 屋根材のコロニアルは、瓦に比べると軽いのですが、年数が経つとコロニアルは脆く割れやすくなるので、太陽光パネルの寿命と比較した場合、屋根材の方が先にメンテナンスが必要になるので、この際太陽光パネルを設置する南側のみ一度撤去して、パナソニックの『野地ぴたF工法』にて設置することにしました。通常の取り付け方に比べると費用は若干高くなりますが、やはりこの取り付け方の方が工務店としては雨漏りの心配が無く安心できます。

P1000871 屋根材を一度撤去するので、その下にある防水シートも新しくします。実はこの防水シートは「改質ゴム系アスファルトルーフィング(イーグルガード)」と呼ばれるもので、住宅用屋根下葺き材としては最高級のものです。確かに施工してても破れにくく丈夫な感じがします。

P1000921 防水シートを行った後に、ベースプレートと呼ばれる、太陽光パネルを取り付ける架台を設置します。

P1010029 屋根の配線はこのように直接小屋裏に引き込みます。

P1010127 架台の上に太陽光パネルを設置して完了です。いつみてもこの工法は非常にスッキリと綺麗に仕上がるのでオススメです。

P1010131 建物全体の全景はこんな感じです。

P1010107 太陽光発電を取り付けていない北面は、ちょうど塗装したい時期になっていたので、遮熱塗料を塗りました。太陽光発電を取り付ける良いタイミングとしては、新築時もしくは築数年経ってそろそろ屋根を塗装したい時期が良いです。パナソニックのこの「野地ぴたF工法」だと、太陽光パネルを設置する南面は屋根自体が新しくなるので、塗装した上にパネルを設置するという二度手間にはならないということです。また雨漏れのリスクや、屋根が重くならないので地震対策上も非常に良いです。

パナソニックHIT5.52kWシステム(昭和町O様邸)設置しました!

パナソニックHIT230×24枚=計5.52kWシステムを設置しました!

P1000174_2 設置前の状況です。

P1000276 一般的な取り付け方法では、既存の瓦を残したまま、太陽光の架台を固定する部分のみ瓦を差し替えるか、かわらの下に固定金具を入れて取り付けますが、重い瓦の上にさらに太陽光パネルを載せるということは、耐震性上好ましくないので、パナソニック独自の『野地ぴたF工法』にて設置することにしました。

P1000337 既存の瓦を一度撤去するので、瓦の下にある防水シートも新しくすることが出来ます。この工法の一番良い所は、防水層からやり直せるので雨漏れのリスクが非常に少ないことです。

P1000416  ガルバリウム鋼板の太陽光パネルを固定する架台となるベースプレートを設置します。

P1000629 太陽光パネルを設置します。配線は露出することなくそのまま小屋裏へと引き込みます。

P1000563 小屋裏の様子はこんな感じです。小屋裏内で配線できるので、劣化の心配もあまりないです。

P1000725 全てパネルを設置するとスッキリとしたこんな感じになります。

P1000797 建物全景はこんな感じです。

P1000694 これは太陽電池モジュールから来ている配線をひとつにまとめる「接続箱」といわれるものです。

P1000704 カバーをするとスッキリとしています。

P1000674 これは太陽電池で作られた電気(直流電気)を家庭用のコンセントで使える電気(交流電気)に変換させる『パワーコンディショナー(左)』と、分電盤とパワーコンディショナーの間に設置する『連系ブレーカー』です。

P1000721 これもカバーをするとスッキリとまとまっています。デザインも統一されているので見た目も良いです。

P1000548 メーターも2つになり、左側が今までの「買電メーター」、右側が「売電メーター」となります。

P1000995 発電開始した日が非常に天気が良かったので、もうすでにパワーコンディショナーの最高出力5.5kWが出ました。

P1010014 表示モニターの方も当然5.5kWが出ておりました。すごい性能です。売電金額もかなり期待できそうな感じです。

インテリアコーディネターで1級建築士が思った『頭の良い子が育つ家』ってどんな家?

これから家を建てようと計画されている方は、色々な住宅会社の建物に対する

ネーミング!!

に惑わされていませんか?

大手の会社は、突き詰めてみればどこもそんなに差があるとは思えません。

自然素材を歌いながら、ビニールクロス貼りの家!

高気密・高断熱を歌いながら、家中床暖を入れないと暖かく無い家!

住宅密集地の北側にまで太陽光をのせ訴訟問題になっているTホーム!

そんな中で子育て世代の人達が関心を寄せるのが

『頭の良い子が育つ家』

間取りを見れば、そんな言葉が出るまえから当社では普通にやっている間取りでした!

家が頭の良い子を育てるわけではないと考えます。

家ではなく、家庭内の家族間の人間関係が重要なのです!!!

無理をして家を建てた為に、お母さんが仕事をしなければならなくなって、子供は学校から帰ってもさびしくて楽しくない家!

妻が働きに出て、今まで手作りの食事が、出来合いの惣菜だらけの食事に変わって家に帰るのが楽しくなくなった夫!

居間で勉強した子のほうが、良い学校に行けた。

ではないのです

子供が親離れするまで、親のそばで安心して勉強することが出来たからなのです。

子供部屋を作ったんだから、自分jの部屋で勉強しなさい!

などと言っていませんか?

個々親離れする時期は違うと思いますが、子供が親の近くで勉強したり、遊んだりしたい時期は、思いっきり満喫させてあげればよいのです。

そのうち 自然に親離れしてゆきます。

その時に 子離れできない親にならないように注意しましょう。

子供でも、自分の居場所があるから安心して学校や幼稚園に行けるのです。

くれぐれも、子供部屋に子供を追いやる事をしないように注意してください。

4月8日信玄公祭りが盛大に行われました。今年の信玄役は沢村一樹さんでした。

037 4月8日に信玄公祭りが開催されました。

今年は参加者の人数をギネスに登録する為、多くの方々が参加されたようです。

甲府城跡地に全部隊が集結します。

しかし

044 武田信玄のいた頃

ここはお寺がある山だったのだそうです。

武田氏滅亡後に甲斐を領した徳川氏や豊臣系大名が甲斐を支配し、甲府城を築城して新たに甲府城下町が整備されたそうです。

豊臣政権では徳川家康を牽制する要所、江戸時代では将軍家に最も近い親藩(甲府藩)の城となったそうです。

天守台はあるが天守が建てられていたかは不明である。浅野長政父子の時代に天守があったとする説があるそうです。

江戸時代には初期の幕府直轄領時代から甲府藩時代、享保年間に再び直轄領とされた甲府勤番時代を通じて統治の拠点となったそうです。

040信玄君です。

ユルキャラの一種です 。

まあかわいいといえばかわいいのでしょうが

我が2歳の息子は、怖がり近づきません。

へたれめ!

046 例年なら葉桜の中の信玄公祭りですが

今年は満開の桜の中でお祭りでした。

1000人以上の参加者があり

ギネスに登録されたようです。

ネットでも参加者の募集があったようです。

050来年参加してみたい方は、ネットでチェックしておいてください。

風の隊・林の隊・火の隊・山の隊に各6部隊あり

全部で24隊の行列です。

皆さん早くから着替えられて大変です。

059 こんなに桜が見事に咲いておりました。

その中を戦国武将に扮した方々が

甲府駅南口に

歩いていかれます。

ちなみに皆さんわらじです。

061これは甲府城跡地です。

林の部隊がいます。

主に県内大手企業が

それぞれ隊を編成します。

その他に一般参加者の枠があるようです。

069 こい姫隊でしょうか?

夕方になり冷たい風が吹いてきて

皆さん

寒さに震えています。

本当いつも寒いのです。

073  甲府の街中が

こんなに賑わうなんて

めったに無い事です。

本番はこれからなのですが

寒くて写真頼んだ人は帰ってしまいました。

という事で、沢村一樹さんの信玄公の雄姿は、TVでバッチリ見ました。

なにしろ人が何重にも道路を取り囲んでいて、見る事が出来なかったとの事です。

でも TVで見ていると、沢村さんは一番最後に登場していたので無理だったと思いました。

 

4月8日信玄公祭りが盛大に行われました。今年の信玄役は沢村一樹さんでした。

037 4月8日に信玄公祭りが開催されました。

今年は参加者の人数をギネスに登録する為、多くの方々が参加されたようです。

甲府城跡地に全部隊が集結します。

しかし

044 武田信玄のいた頃

ここはお寺がある山だったのだそうです。

武田氏滅亡後に甲斐を領した徳川氏や豊臣系大名が甲斐を支配し、甲府城を築城して新たに甲府城下町が整備されたそうです。

豊臣政権では徳川家康を牽制する要所、江戸時代では将軍家に最も近い親藩(甲府藩)の城となったそうです。

天守台はあるが天守が建てられていたかは不明である。浅野長政父子の時代に天守があったとする説があるそうです。

江戸時代には初期の幕府直轄領時代から甲府藩時代、享保年間に再び直轄領とされた甲府勤番時代を通じて統治の拠点となったそうです。

040信玄君です。

ユルキャラの一種です 。

まあかわいいといえばかわいいのでしょうが

我が2歳の息子は、怖がり近づきません。

へたれめ!

046 例年なら葉桜の中の信玄公祭りですが

今年は満開の桜の中でお祭りでした。

1000人以上の参加者があり

ギネスに登録されたようです。

ネットでも参加者の募集があったようです。

050来年参加してみたい方は、ネットでチェックしておいてください。

風の隊・林の隊・火の隊・山の隊に各6部隊あり

全部で24隊の行列です。

皆さん早くから着替えられて大変です。

059 こんなに桜が見事に咲いておりました。

その中を戦国武将に扮した方々が

甲府駅南口に

歩いていかれます。

ちなみに皆さんわらじです。

061これは甲府城跡地です。

林の部隊がいます。

主に県内大手企業が

それぞれ隊を編成します。

その他に一般参加者の枠があるようです。

069 こい姫隊でしょうか?

夕方になり冷たい風が吹いてきて

皆さん

寒さに震えています。

本当いつも寒いのです。

073  甲府の街中が

こんなに賑わうなんて

めったに無い事です。

本番はこれからなのですが

寒くて写真頼んだ人は帰ってしまいました。

という事で、沢村一樹さんの信玄公の雄姿は、TVでバッチリ見ました。

なにしろ人が何重にも道路を取り囲んでいて、見る事が出来なかったとの事です。

でも TVで見ていると、沢村さんは一番最後に登場していたので無理だったと思いました。

 

山梨県建築士会女性部会有志でまわった京都ミステリーゾーン

P2180724 六道の辻です。

この付近はかって死者を埋葬する際の野辺送りの場所だったそうです。

この世とあの世の境といわれていたそうです。

全ての生き物が生前の善悪の行いによって必ず行くとされてる地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6種の冥界の事を六道の辻といったそうです。

P2180725 珍皇寺、小野篁卿旧跡、

篁の亡霊が,珍皇寺門前の六道の辻からに冥府に通ったという伝説があるそうです。

小野篁は遣隋使を務めた小野妹子の子孫で、父は小野岑守。孫に三蹟の一人小野道風がいるそうです。

篁は夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという。

P2180735昼は嵯峨天皇、夜は閻魔大王に仕えた小野篁が冥土へ通った入口であったという伝説の残る井戸です。

この井戸は、京都嵯峨の福生寺(生の六道、明治期に廃寺)と京都東山の六道珍皇寺(死の六道)にあったとされいるそうです。

また六道珍皇寺の閻魔堂には、篁作と言われる閻魔大王と篁の木像が並んで安置されているそうです。

P2180743 みなとやさんの幽霊子育て飴

麦芽糖でつくった琥珀のような美しいこの飴が何故このような怖い名前なのか。

P2180747六波羅蜜寺です。

それは慶長四年。夜な夜なこの店に飴を買いに来る女がいて、不審に思った店主がその女の後をつけていくと、墓場であったそうです。

赤子の鳴き声のする墓を掘り返してみると女の死体と一緒に生きている赤子がいたそうです。

この赤子を助けた後は、女が飴を買いに来ることはなくなったとのこと。
いつしか誰ともなく、この飴を「幽霊子育飴」と言い始めたとのことです。

飴は素朴な味でおいしかった!

六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所だそうです。

当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたそうです。

P2180745 行った時には、国宝の仏像が展示してあり、多くの方が訪れておりました。

今回初めて訪れた京都のミステリーゾーンでした。

皆さんもいかがですか?

鉄道王と呼ばれた根津 嘉一郎の生家、山梨市にある『根津記念館』へ行ってきました。

Nec_0176 鉄道王と呼ばれた根津 嘉一郎の生家です。

国登録有形文化財【長屋門『平等(ひらしな)』】です。

青梅街道に面し、正面16間・側面3間あり、根津記念館の屋敷構えを構成する最大の付属屋で、昭和初期の社会情勢を反映した壮大な長屋門です。

Nec_0294国登録有形文化財【旧主屋】です。

昭和8年に竣工。
大地主根津家の地主経営の場を持つ近代和風建築です。
コンクリート布基礎、ボイラー設備、屋内消火栓の導入、電気配線の埋込など、当時の先端的な技術が盛り込まれています。

Nec_0202 上記の長い広縁に面した真ん中の和室です。

根津嘉一郎がメイに送られたお雛様だそうです。

とても落着いた和室です。

お手入れが大変そう。

Nec_0207 上記の和室の反対側の部屋です。

力強さもある部屋です。

正面に見えているのは

作り付け収納です。

Nec_0210素晴らしい障子が入っていました。

書院風なのですが、出窓にはなっていなく

広縁側にありました。

両脇はふつうの障子でした。

Nec_0221 国登録有形文化財【土蔵】です。

建物から直に入れるようになっていました。

根津ピアノは有名ですが

根津オルガン?が置かれておりました。

Nec_0227

1階広縁です。

和室3部屋を繋いでいるこの景色

圧巻です。

あこがれちゃいますよね。

しかし

これだけ窓があると

冬場の寒さはきつかったのでは?

などと寒がりの私は考えてしまいます。

実際

どうだったのでしょうか?

Nec_0247_22階廊下兼広縁です。

3部屋続きのの両端に

階段がありました。

昭和初期ですが

電気のコードが

むき出しに配線されていません。

現在の住宅と同じように

見えないように配線されていました。

これって当時から考えると

とてもすごい事なんですよね。

Nec_0235 2階にも

お雛様が展示してありました。

御殿雛や現在の雛飾りに近いものやら

広いはずの和室が狭く感じる迫力です。

Nec_0243 これは

根津嘉一郎氏が実際に使用された

机だそうです。

良いものは年月を経ても色あせないですね。

Nec_0312 この外観は

台所入口です。

広いコンクリートのたたきがあり

板敷きの台所が続いています。

Nec_0194 台所内部です。

手すりの部分が

地下室に下りる階段になっていました。

窓がたくさんあり明るい台所でした。

根津記念館はコンサートを開いたり、古い図面から復元された【青山荘】 【茶室「燕子花(かきつばた)」】でお茶会を開いたり、お琴をやったりと多彩に利用されているそうです。

またゆっくり見学に行きたいと思います。

 


山梨県木造住宅フェアーin木の国サイト!去年を上回り大盛況でした。!

P1190670 第二回山梨県木造住宅フェアが昨日木の国サイトで開催されました。

去年は、東北大地震の後だったので、どのくらいの方々が来てくださるのか心配の中開催されました。

今年は、去年を200人以上上回る方々が訪れてくださいました。

P1190666 当社も、参加させて頂きました。

お天気はよかったのですが、風が冷たく強い日でした!

それでも、沢山の方々が遊びに来てくれました。

建物の中には、キッズコーナーがあり積み木の広場では

多くのお子様が、色々なものをつくって遊んでいました。

P1190678 フードコーナーには、ラーメン屋台や手作りパンやカレー・クレープ・焼き鳥などが売られていました。

また 東京ガスでは、お豆の入ったご飯の試食があったり

塩焼きそばを出しているところもありました。

休憩スペースもありましたが、皆さん思い思いの場所で召し上がっておられました。

P1190688 6畳の建物を組み立てて、模擬上棟式も披露されていました。

お菓子や文具やシールなど

子供達の喜びそうなものが巻かれておりました。

子供連れの家族には大好評のようでした。

P1190694 また もちつき大会も

AM10:00・PM12:30・PM14:00と3回あり

子供達も参加して大賑わいでした。

つきたてのお餅は、黄な粉もちとなり多くの方々に配られました。

やわらかくておいしかった。

P1190674   どんどん風が強くなってきました。

4時に終了でしたので片付けて

最後参加された方々で閉会式を行いました。

皆さんお疲れ様でした。

来年もやると思いますので、今年これなかった方々は、来年来てね!