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山梨県古民家鑑定士、愛媛県大洲肱川畔に建つ『臥龍山荘』見学しました!

P1020833 『臥龍山荘』について

何も知識が無く訪れました。

でもなんだか皆さん

お勧めして下さるので

???のまま見学です。

P1020834明治30年頃、この地を購入したのは

貿易商の河内寅次郎だったそうです。

外観は茅葺寄せ棟造りなので

一見農家を思わせるそうですが

内部は、数奇屋造りになっていました。

P1020928石の階段を昇って

ここが入口です。

あまり

玄関らしからぬ玄関です。

内部の造作は

京都千家十職の漆工中村宗哲

金工中川浄益

木刻駒沢利斎

表具奥村吉兵衛などが加わっているそうです。

P1020847 内部には、迎礼の間

霞月の間(かげつのま)

清吹の間(せいすいのま)

壱是の間(いっしのま)

入側・始定(しじょう・仏間)、文庫・食堂・庖舎などがあるそうですが、内部は撮影できませんので残念ですが、皆さん足を運んでください。

P1020920 庭から

臥龍山荘を見た写真です。

臥龍山荘を未来に残す為に

平成7年から8年にかけて大修理が行われたそうですが

修復を担当された方は、『大金をかけてどこを直したのだろう』と言われることが最高の褒め言葉だと言われたとか???・・・・・

梼原町にえ見た隈研吾氏の設計建物『雲の上ホテル&温泉棟&雲の上ギャラリー&プール&梼原町役場』

P1020529 雲の上ホテル外観です。

白い外壁がずいぶん汚れてきてました。

写真で見ると

もっと大きく見えたのですが

実際は、丁度良い大きさでした。

P1020526左の階段は

宿泊棟の方に

行く階段なのでしょうか?

昇れませんでしたので

よくわかりません。

P1020527_2 レストラン入口側に

あの写真で見た

水面があります。

風で小波が立ち

とてもよい感じです。

P1020521 レストラン内部です。

吹き抜けになっており

明るく

開放的な店内です。

手前にはパンフレットが沢山置かれてました。

P1020523_2 レストランから見た

水面です。

奥の台は何?

山の中に建っている様が

感じられます。

P1020530 雲の上ホテル一段下に

温泉棟があります。

入口を入って

また

一段下がって温泉施設があります。

露天風呂もありました。

P1020543 この通路を

歩いてゆくと

何があるのでしょうか?

結構良い雰囲気でしょう?

答えは次の写真をご覧下さいP1020548_2

室内プールです。

これなら寒い冬でも

雨の日でも

プールを使用できます。

これって町民の為のプールかな?

P1020534 雲の上ギャラリーです。

梼原の職人さんたちと

話し合って出来た

デザインとか・・・?

ホテルから温泉施設に行く

通路にもなっているのかな?

次回泊まって見ないとわかりません?

P1020596_2 梼原町役場です。

9時前でしたが

もう

車が沢山ありました。

それも軽トラが多かった。

P1020597 内部写真です。

1階の向こう側に見えているのが

役場です。

すでに職員さん

忙しそうに働いておりました。

P1020598 この部分が

大きな山車を入れたりするときに

フルオープンする扉のようです。

実際に開放されるのは

いつなのでしょうか?

内と外が一体になる場所のようです。

P1020600 役場の反対側の写真です。

階段があり

2階へと続いています。

この建物には

いろんな機能が盛り込まれているようです。

ここの広いスペースは、町民のふれあいスペースかな?

P1020601 ここに使用されている木材は

梼原産のようです。

大きな木材も

ふんだんに使用されていて

RCの建物より温かみがあると思います。

P1020606初代役場庁舎だそうです。

藤村式に

ちょっと似たような

外観洋館ですが

内部は閉まっていて見れませんでした。

とても残念でした。

高知の山の中ですが、古いものを大切に観光の資源として生かし、隈研吾氏の建物が点在しているところってここしかないように思います。

一度は訪れてみる事をお勧めいたします。

   

山梨県建築士、隈研吾氏設計『マルシェ・ユスハラ』に宿泊する

P1020778_2 マルシェ・ユスハラの外観です。

全面の外壁にある草のようなものは

建具扱いになっているそうです。

建物の内部にも入っており?????

FIX窓のようなもので考えればいいのかな?

P1020485207号室です。

間仕切りが無く

開放感ある部屋です。

右手奥に見えるドアが

入口になっています。

P1020492 ベッドルームです。

天井に木がはってありました。

二つのベッドの間に

照明の調光器がありました。

寝る時にはOFFで寝れます。

P1020497 洗面です。

手前が浴室

奥がトイレになっています。

壁・天井を白く塗ってあるので

狭さを感じません。

奥に見えるトイレのドアが

アクセントとして生きています。

この手前に引戸があり閉めたい方はどうぞ。

P1020575 浴室です

壁・天井は防水塗料を塗ってあるようです。

洋風バス

ちょっと、こじゃれています

女子は大好きだと思います。

この手前に、シャワーカーテンが付いていました。

P1020561 トイレです。

トイレも浴室も

換気扇が見えないように

天井が造られています。

仕事大変そう・・?

二重にしているのかな?

全て白く

圧迫感の無いトイレでした。

P1020506_2 マルシェの部分です。

宿泊部分の通路から

良く見えます。

左には宿泊部分の

食事スペースが見えないよう

鏡張りになっています。

鏡をはった事により、空間をP1020500 広く見せています。

天井はこのようになっています。

結構

この雰囲気

和みますよね。

朝早く、地元の方が取り立ての野菜をマルシェに納めに来ていました。

おいしそうな野菜が沢山ありましたが、まだ帰らないので断念しました。

残念!

P1020510 マルシェと宿泊スペースは

こんな感じになっています。

ちょっと

イメージの違う空間が

合体した感じでしたが

嫌味な感じはありませんでした。

やっぱり一度は、泊まってみるべきですね!

部屋の感じは、宿泊して自分で体感してみないとわからない事が多いと思います。

次回来る事があれば、雲の上ホテルに泊まってみたいと思いました。

山梨県古民家鑑定士、高知梼原『坂本龍馬脱藩の道』を歩いてみました。

P1020712 梼原には

坂本龍馬脱藩の道

という昔の細い道が

あります。

この茶堂にも、立ち寄ったかも知れませんね?

P1020656これは、吉村寅太郎をはじめとする庄屋跡地に

梼原町の明治維新の志士

掛橋和泉邸宅を移築した物だそうです。

代々神職をしていたそうです。

幕末には遠近の同士が良く立ち寄り、時局を談じたそうです。

P1020671 奥の間は

天井が低く

階上に、危難の時に隠れる

『姫の間』がありました。

天井高も低く、光も入りません。

P1020727 このように

細い道です。

現在は、舗装されていますので

楽に歩けましたが

龍馬たちの時代は、どんな道だったのでしょうか?

P1020732  三島神社に続く

この橋は、木製で

御幸橋と呼ばれ

訪れる方々の目を引いているそうです。

屋根もあり、橋を渡っているという感覚は無く

神社へ続く神聖な道みたいな感じでした。

P1020739 三島神社です。

なんだか作業をしていて

車が正面にあり

残念な写真になってしまいました。

パワースポットとしても有名なようです。

P1020743 境内には

樹齢400年と言われる

ハリモミの木があります。

文禄元年(1592年)津野親忠と中平左京亮光義が

長宋我部軍として朝鮮に遠征した際に持ち帰り、植栽したと伝えられている木です。

直径 130cm

樹高 37m

通称『朝鮮松』と呼ばれているそうです。

P1020749 坂本龍馬脱藩の道は

三島神社を過ぎ

山道になります。

森林浴と楽しみながら

歩きました。

P1020761歩いてゆくと

また賑やかな街並みを歩いて

維新の門があります。

坂本龍馬は、勤王郷梼原から那須俊平・信吾父子の案内で盟友澤村惣之丞とともに、回天の偉業を夢見て脱藩したそうです。

P1020760 これは

梼原町にゆかりのある六志士に、

坂本龍馬、沢村惣之蒸を併せた八人の銅像が建立されていました。

この地からも吉村虎太郎、前田繁馬、中平龍之助が国境を越え維新の動乱の渦中に身を投じたそうです。

また、これらの志士を身を賭して支える掛橋和泉があったそうです。

それから年を経ること6年、明治維新は成り、近代国家が誕生するが、そのとき既に八人の志士は壮絶な死を遂げていたそうです。

いま山中に残る脱藩の道を行くとき、新しい時代の到来を信じ、大きな夢を抱いて峻険を掛け抜けた男たちの決意が偲ばれます。

『ここに志士の足跡が残る地を選び、八志士の群像を建て「維新の門」と名づけ、その功績と英姿を永遠に伝える。近代日本の黎明は、この梼原の地より輝いた。その郷土を誇りとする青年たちの情熱と維新の里の発展を希求する町内外の多くの有志の熱い想いが、この群像を建立した。』との事です。

梼原は山の中ではありますが、素晴らしい歴史のある町なんですね。

山梨県建築士が見た、隈研吾氏と梼原町との出会いのきっかけになった『ゆすはら座』

P1020652 隈研吾氏とゆすはらの関係は

この

ゆすはら座にあります。

この建物を何とか残したい方々が

どなたかの縁で、隈研吾さんを梼原に招いたそうです。

P1020620ここは、入場券を

売っていた場所でしょうか?

窓が

何ともいえずいいですね。

ほのぼのとした昔を想像させてくれます。

P1020624  2階席です。

あまりの暗さに

フラッシュをたいても

この程度にしか

映りません。

残念!

P10206322階席から見た舞台です。

暗い中

舞台だけが

浮き上がって

見えます。

P1020643  写真は花道を撮ってのですが

暗くて

わかりにくくなっています。

昔は

こんな暗いままだったのでしょうか?

P1020642 これは

天井の中央部についている

シャンデリアです。

昔のまま

残っているようです。

P1020647劇場から

入口を見た

雰囲気です。

写真だと

目で見るより劇場内が

暗く見えます。

P1020638内部 色々見て

入口にきたら

なんと

明るく感じたこと

入口の天井高は低く

いかにも

芝居小屋に来た感じです。

現在も、お芝居をやる時があるのでしょうか?

保存することに決められた、梼原の文化的財産だと思います。