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山梨県建築士が見た、自分の山の木を使って建てた『高知の家』

P1020453 高知のさめうらダム沿いの道を

舗装されていない山道に入って行きました。

道幅も狭く、片方はがけ下

という

すごい山の中を見せて頂きました。

写真のところはまだ良い方です。

P1020340 以前より庭を少なくして

建物を大きくされたそうです。

門は

宮大工をされている方が

造られたものだそうです。

P1020374 これは

なんというのだったか

忘れてしまいましたが

風が強いときに

折れてしまったそうです。

玄関でお客様を出迎えてくれます。

P1020347_2 これは

居間と和室の間にある

戸襖です。

建具屋さん

こだわりのものです。

P1020367 この大きな梁

これも山の木だそうです。

建て方の時に重くて

大変だったようです。

でもいいですね~

P1020362 家中

木がたっぷり使われていて

外は蒸し暑いのに

家の中は

爽やかでした。

木の調湿機能が

あるからでしょうか?

やっぱり無垢の木はいいですね?

  P1020363

基本的な家の造り方は

当社の

家造りと似ております。

でも

自分の山の木で

家を建てられるなんて

すごく幸せな事だと思いませんか?

実際木を買うよりお金はかかったそうですが、羨ましい話です。

P1020416 和室の材は

大工さんのこだわりで

別途

買われたようです。

無節の良い材を使われていました。

家を建てるということは、一生に一度の大金を使うものです。

このような愛着の持てる家づくりを、皆さんもして見ませんか?

家は買うものではなく、いろんな職人さんと一緒に造り上げてゆくものです。

この家のご主人も、いろいろ勉強されたそうです。

住宅会社にお任せではなく、皆さんも家づくりに参加して見ませんか!

徳島のマルナカの前にある『魚厳』の夕食はリーズナブルでお魚がとてもおいしかったよ!

徳島に泊まった夜、夕食を食べに行ったところが『魚厳』でした。

P1020271 徳島は、甲府ほど飲食店が無く

これまでは、マルヨシセンターの前にある

寿司処藤吉郎に行っていましたが

ご機嫌で飲んだり食べたりすると金額もそこそこいってしまいました。

でも 寿司処藤吉郎も、徳島のタクシーの運転手に聞くと、お勧めのところですよ。

ランチはとてもリーズナブルな価格でおいしいですよ。

P1020274 今回

ここがおいしいと連れて行ってもらったのが

マルナカの前にできた『魚厳』です。

このおさしみ定食が¥1700円

ご飯は白飯から鯛めしにバージョンアップしてもらいました。+¥200円かな?

お刺身がぷりぷりしていて、甲府で食べるものとは比べ物にならないおいしさでした。

P1020269 これは

煮魚定食です。

¥1000円くらいだったような・・・・・?

おすそ分けしてもらって食べてみましたが

おいしく煮付けてありました。

P1020270

この時は

鯛のあら煮だったのかな・・・・

結構

身もたっぷりあり

白ご飯にぴったりの味付けでした。

P1020268_2これは天ぷら定食です。

値段忘れました。

ご飯は鯛めしにバージョンアップしています。

お味噌汁も

大きな器にたっぷり入ってきて大満足です。

P1020276 これは鯛の押寿司です。

山椒の葉が入っていて

香り豊かになっていました。

¥400円だったかな~

結構リーズナブルだと思いませんか?

P1020277  さばの押寿司です。

甲府では若鮨のさば棒が身が厚くておいしいので

どのようなものか試食したくて頼みました。

¥300円

身は若鮨より薄かったのですが、おいしかった!

この店は、単品に+200円で定食になるという、とても不思議な価格設定でした。

徳島市に行かれたときには、是非一度は、立ち寄ってみる価値あるお店でした。

甲府七夕祭り『甲府銀座通り』で盛大に行われております。

P1020156 甲府の昔からの中心街

銀座通りでは

金曜日から今夜まで

屋台が沢山出て

にぎやかに、七夕祭りが

行われております。

去年は、暴力団対策で

屋台が少なかったのですが

P1020163 今年は

なんとなんと

沢山の屋台がでています。

嬉しいことに

お値段もずいぶんリーズナブルになっておりました。

P1020164カキ氷200円

焼きそば300円

トッポギ300円が200円に

子供達のお楽しみくじも

1000円で5回できるとか・・・

P1020165 天の川に見立てた

白い網に

多くの皆さんが

願い事を書き込んで

こんなに沢山吊るしてありました。

P1020170 人ごみをかき分けて

のぞいてみると

なんと

お猿さんが

芸をしていました。P1020172

多くの方々が

お猿さんの芸を

楽しんでおられました。

ほのぼのとしていていいですね~

P1020176 お猿さんの

最後の芸は

この高い障害を

このように

見事に飛び越える事でした。

P1020177 織姫と彦星

天の川で会えたのでしょうか?

なにしろ

金曜日の夜は、どしゃ降り

P1020159 7日の本日は、良いお天気でしたが

夜見に行くはずが

息子バク睡

起きるのを待っていましたが

結局ダメでした。

8日の今日は、雨が降ったりやんだり

猫の目のように、お天気が変わっています。

山梨県インテリアコーディネーター、香川県高松市牟礼にあるジョージ・ナカシマ記念館を訪れる

P1020262_3 高松市から11号線を車で走ってきたのですが

看板はわかりにくく

建物は奥にある為

見つけるの大変でした。

知る人ぞ知る?

ジョージ・ナカシマはジャーナリストである父と日本人妻の子供として、アメリカで生まれた日系2世だそうです。

1905年いに生まれ1990年アメリカの工房で亡くなられたそうです。

フランク・ロイド・ライトに伴って来日し、東京事務所を開設したアントニン・レーモンド事務所に入所されたそうです。

同僚には、前川國男氏や吉村順三氏などがいたそうです。

軽井沢の聖パウロカトリック教会の設計と家具の設計に参加されたそうです。

記念館に、その椅子が保存されていました。

太平洋戦争のとき、アメリカにいたので、日系人のジョージ・ナカシマも強制収容され、その中で、日系二世の大工と知り合い、基本的な木工技術と木についての知識を得られたそうです。

吉村順三氏が、ロックフェラー邸を設計した時に、220点以上の家具をナカシマが製作されたそうです。

P1020259_2  これが

記念館です。

一瞬 ここなの?

加工場に見えました・・・

すみません。

中はジョージ・ナカシマのいすを沢山みる事ができます。

また ジョージ・ナカシマのk木に対する心や実際に椅子に座る体験を通し

本当に良い椅子とは何か?

目からうろこのお話が聞けました。

P1020261 駐車場から

11号線道路を見る

このように

木があり

記念館がわかりにくくなっています。

でも それでも見たいという人の方が良いのかも?

ジョージ・ナカシマの作品は、アメリカと日本のここにしか無いとの事です。

是非 香川県にいかれたら立ち寄ってみてください。

山梨県古民家鑑定士、香川県にある古民家がある『四国村』探訪その2

P1020092 旧 中石家住宅納屋です。

扉が閉められており

内部がよくわかりませんでした。

鍵が掛かっているようでしたので

何か入っていたのでしょうか???・・・

P1020114  旧中石家母屋です。

平家の落人村として有名な祖谷(いや)の民家です。

平国盛の子孫といわれる阿佐家に近く、険しい山肌に、しがみつくように建っていたそうです。

母屋18坪、隠居屋13坪、納屋8坪、いずれも茅葺降ろしで、18世紀後半の建築とみられているそうです。

P1020100 旧中石家隠居屋です。

母屋、隠居屋、納屋が一列に並んで建ち、祖谷の民家の特徴を現しているそうです。

母屋、隠居屋は土間のない二間取りになっていました。

部屋にイロリがとってあるのは、寒い祖谷地方の特徴だそうです。

父親が隠居して、長男に世帯をゆずると、隠居屋に移り住んだのだそうです。

P1020120 旧丸亀藩御用倉です。

丸亀藩御用の米倉で、金毘羅参詣絵図にも太助燈篭と共に描かれているそうです。

内部の柱の一部にある墨書きで江戸時代後期の建築と思われているそうです。

また 米俵の数取りに使った「玉」の字の落書きも見られたそうです。

P1020130 旧三崎の義倉です。

義倉とは、平時に稲や麦を貯蔵しておいて、飢饉の際には種籾や食料の補助として支給する制度だそうです。

奈良時代には、すでに制度化されていたそうですが、その後廃絶したが、江戸時代になって再び復活し、各藩に設置されるようになったそうです。

この義倉は昭和15年頃まで機能しいたそうです。しかしその後維持管理が困難となり、ここに移築復元されることになったそうです。

P1020142アーチ橋

昔の金毘羅街道沿いにあったアーチ橋は、角閃安山岩で作られているそうです。

この石は、古墳時代には畿内に運ばれ、石棺にも使われたそうです。

明治34年に築造されたものだそうです。

P1020137  アーチ橋と同じ石でつくられた石倉です。

旧福井家のものだそうです。

明治中頃に造られたもので、四国では大変珍しく、当時としては贅沢なレンガを床に張ったモダンな建物だそうです。

今でも全く狂いが無く技術的にも卓越した石工の作品だそうです。

でも中を見る事が出来なかったので残念です。

P1020147 醤油倉・麹室です。

讃岐の醤油造りは、文化年間(1810頃)に小豆島を中心に興り、東讃の引田(ひけた)、西讃の仁尾などの地域で盛んになったそうです。

香川県は、明治中期から昭和10年にかけて、全国第二位の生産量だったそうです。

ここに移築復元された建物は、引田町の醸造家で長年使用さてれきたものだそうです。

建物の一部には、18世紀後半頃とみられる梁材がそのまま使われているそうです。

P1020175 小豆島の警鐘台と消防屯所、石倉です。

奥に見える石倉は、大阪に出て事業に成功した、藤原兵太郎氏が大正4年に建造されたそうです。

茨城県稲田産の花崗岩を取り寄せてつくられたそうです。

P1020173  かつて天皇のお写真を入れた奉安殿を思わせるような建物だそうです。

今の貨幣換算すると4千万円以上かかったようです。

切り石積、鉄扉両開、軒蛇腹付陸屋根は、異色な建物であったようです。

四国にも、有名な大阪城にも使われた石があるのに、わざわざ遠くから運んできたのですね!

P1020176旧前田家土蔵です。

高知県布師田に、明治初期に建てられた土蔵です。

間口3間、奥行2間、壁に7寸の暑さに土を塗り、その上を漆喰で仕上げてあるそうです。

屋根は鞘屋根いって二重になっていて、近所の家事の火の粉や大雨から土蔵を守っていたそうです。

このような土蔵は平野部に多く、漁村や山間部ではあまりみられなかったそうです。

P1020212 旧吉野家住宅です。

この家は、切妻造本瓦葺12坪、宿組みなどの部材はすべて手斧で削られ梁と大黒柱は特に頑丈に造られていました。

上がり端の床は、漁でぬれた着物や道具の露を落とす為竹のすのこ張りになっていました。

周囲の石垣は強風を防ぐ役目をしているそうです。

これらは、生活の中から生まれた漁師の家の特徴だそうです。

P1020254 異人館ワサ・ダウン住宅

明治38年にイギリス人ワサ・ダウン氏の住宅として建てられたものだそうです。

寄せ棟造り桟瓦葺き、2階建てで、下見板張りペンキ塗

になっています。

兵庫県神戸市にあった明治後期の洋館の特徴をあらわしているそうです。

P1020232 茅葺の農家を移築したうどん店

『わらや』です。

香川県のおいしいうどん店の中にも登場するほど

うどんのおいしいお店です。

丁度お昼頃になりましたので入って見ました。

P1020246 これは生しょうゆうどん大です。

甲府あたりにある讃岐うどんのお店の大は、そんなに多くないので大を頼んだら、結構な量でした。

こしも有り

のど越しもよく、おいしくいただきました。

P1020243これはざるうどん並です。

これまで食べたうどんの中では

一番おいしいと思いました。

そこで、早速おみやげでうどんを買い

宅配便で送ってもらうことにしました。

平日でしたが、結構お客様が入っておられました。