中の門堀跡だそうです。
廻りは人家が沢山あり、ホントこのスペースだけ残されておりました。
西大手門から直進してきた敵がまっすぐ本丸に進めないようにつくられた堀だそうです。
街並みの景観に合わせた建物になっています。
ここに住んでいる人でないと気づきにくいかも知れません。
私も時間が無い中、写真を撮ったりしながら見て歩くのに手一杯でした。
うっかりして中に入りませんでしたが、中には山車が展示されていたりして川越祭りを体感できる大型スクリーンもあったりしているようです。
祭りに参加する体験コーナーもあるようです。
次回見学したいと思います。
蔵造り資料館は、明治26年(1893)の川越大火直後、類焼を免れた数軒の蔵造り建物や東京の日本橋界隈の商家を参考に、当時煙草卸商を営んでいた小山文造(屋号「万文」)氏が建てたものだそうです。
川越の蔵造り家屋の意匠や構造、敷地内の様子を実見でき、今もなお息づく明治のたたずまいを体感することができる建物だそうです。
時の鐘は、寛永年間(1624年~44年)に川越城主酒井忠勝が、城下多賀町 (いまの幸町)に建てたものが最初といわれているそうです。
現在の鐘楼は、明治26年(1893)に起きた川越大火の翌年に再建されたものだそうです。
3層構造の塔で、高さ約16メートル。寛永の創建からおよそ350年間、 暮らしに欠かせない「時」を告げてきた川越のシンボルです。 現在、1日に4回(午前6時・正午・午後3時・午後6時)、蔵造りの町並みに 鐘の音を響かせているそうです。
深善美術表具店は元文3年(1738)創業だそうです。
掛軸や額縁の製造・販売をしているそうです。
建物は明治28年(1895)の建築。
川越市指定文化財。
江戸時代から続く刃物の専門店だそうです。
通称 まちかん。
建物は明治30年(1897)の建築だそうです。
川越市指定文化財。すばらしい刃物が沢山おいてありました。屋根の鬼瓦の大きさにビックリしました。
NHK「つばさ」の川越市内ロケで、川越にある老舗の和菓子屋「甘玉堂」は、やまわを借りて撮影が行われたそうです。
見たには見たのですが、分かりませんでした。
素晴らしい蔵造りでした。川越市指定文化財。
建物は大正7年(1918)に第八十五銀行の本店として建てられたそうです。
鉄骨鉄筋コンクリート造り、三階建て、搭屋・金庫室付き。高さ25m、面積291㎡。
近代金融史のシンボル的な洋風建築で、ネオ・ルネッサンス、サラセン風デザインは、保岡勝也氏による設計だそうです。
建物は明治28年から約3ヵ年、3万円(現在の貨幣価値で約3億円)を費やして建築されたそうです。
間口4間、奥行2.5間、入母屋造りの瓦葺で、大きな鬼瓦を置いた屋根がひときわ目立つ建物です。
現在この建物は倉庫になっていて、中に入り見学することは残念ながらできないそうです。
変に角で目立っていたので載せました。
豊富な豆の種類を取り揃えている豆専門店だそうです。
生豆だけではなく甘納豆やおつまみにピッタリの豆など多数おいてあるそうです。
結構にぎわっていました。
亀屋の建物は明治26年建築、店蔵(間口4間、奥行2.5間)と、袖蔵(間口2間、奥行2.5間)を併立させた袖蔵形式の蔵造りだそうです。
建物は約1年の歳月と総工費1万111円54銭9厘という当時としては多額の建築費をかけてつくられたそうです。
埼玉県川越市の仲町にある山崎美術館(やまざきびじゅつかん)は、和菓子の老舗「亀屋」の一角に立つ蔵を利用し、代々山崎家に伝わる美術品・工芸品等のコレクションを展示している美術館だそうです。
山崎美術館は亀屋中興の祖・四代目山崎嘉七(豊)翁の生誕150年を記念して、昭和57年(1982)11月3日文化の日にオープンしました。川越出身で川越藩お抱えの絵師として活躍した橋本雅邦(はしもとがほう)の作品を中心に、日本画や製菓の古文書、美術工芸品等を季節に合わせて展示しているそうです。
屋号は”足立屋”で、元穀物問屋だったそうです。
1896(明治29年)建築、川越市指定文化財
棟が高く、大きな鬼瓦、3つの観音開扉を持つ、黒塗り漆喰壁の美しい、重厚で威厳のある建物でした。
川越市指定文化財
明治28年(1895)、2代目滝島重蔵によって建てられたそうです。
間口3間、奥行3間の切妻造り。下屋庇(げやびさし)付の土蔵造りで、外壁には漆喰のはく離を防ぐため銅板をまいていました。
今回は旅の途中に昼食を取る為に寄ったので、ゆっくり散策できませんでした。
あと 車の往来が激しく、ちょっと危険な感じがしました。
何とかならないのでしょうか?
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