江戸時代の宿場の面影を今もそのままに残している山間集落。街道は会津西街道、南山通りまたは下野街道※と呼ばれ、 会津若松と日光今市を結ぶ重要な道でした。
以前 下山先生のお話を聞いた時に、「昔の道は谷を歩くか、尾根を歩くかの二通りしかない。」とおっしゃられておりましたが
この大内宿を通る道は、谷道のようです。
古い町並みが残っている事で昭和56年(1981)に宿場町としては妻籠宿、奈良井宿に次いで全国3番目に重要伝統的建造物群保存地区に選定、大内宿を含む前後10キロには旧会津西街道の石畳や、三郡境の塚、茶屋跡、一里塚、馬頭観世音碑などの遺構が見られることから国指定史跡に指定されていまるそうです。現在の大内宿は保存運動にも力が入り再び茅葺屋根に戻す民家が増え、舗装道路も撤去され水路を復活するなど古来の大内宿の姿に戻りつつあるそうです。
しかし
ほとんどの家が何らかのお店を開いており、かなり観光化しています。
現代の道からかなり離れているので 、観光でしか生きる道は無いのでしょう。
また 昔の風景に戻った事は良かったのかな?
多くの人が訪れておられました。
でも
この日は、暑かったので
それぞれ どこかのお店に入って
冷たい物を飲んだり
食べたりしていたようです。
大内宿をずっと山に向かって歩いて行き
階段を昇った神社から
撮った写真です。
結構
急な階段で昇るのあきらめる人もおりましたが
この景色を
見る事が出来なくて残念でした。
コメントを残す