山梨県指定文化財です。
門の左右に仁王?さまがありました。
これから800段近い階段を昇って薬師堂に行きます。
結構年配の方々が昇っておられました。
階段の中間くらいのところに
山門はあります。
初めて訪ねたお寺です。
ここはぶどう寺と呼ばれているそうです。
何故?
山梨最古の建物だそうです。(関東で最も古い建造物)
本堂に薬師三尊像を安置しているので『薬師堂』とも呼ばれるのだそうです。
弘安9年3月16日(1286)の刻印が有り、元寇(弘安の役)の数年後に建立、築720年以上経過しているのだそうです。
養老2年(AD718)僧行基が甲斐の国を訪れた時
勝沼の柏尾にさしかかり、日川の渓谷の大石の上で修行したところ、満願の日、夢の中に手にぶどうを持った薬師如来が現れたのだそうです。
行基はその夢を喜び、夢の中に現れたお姿と同じ薬師如来像を刻んで安置したのが大善寺なのだそうです。
以来 行基は薬園を作って民衆を救い、法薬のぶどうの作り方を村人に教えたので、この地にぶどうが栽培されるようになったそうです。
これが甲州ぶどうの始まりだと伝えられているそうです。
本尊の薬師如来像は国の重要文化財に指定されており、そのお姿は、5年に1度のご開帳の時にしか拝む事が出来ないそうです。
仏師蓮慶により製作されたとのことです。(1228~1228)
天下統一を競った武田信玄亡き後の勝頼は
、織田、 徳川の連合軍の近代装備と物量の前に敗退し
、天正十年(AD1582)三月三日、郡内の岩殿城で再興を図ろうと韮崎の新府城を出発し、
途中この柏尾山大善寺で戦勝を祈願して、一夜を明かしたのだそうです。
しかし、武田家再興がかなわないと見た家臣の大半は夜半に離散し、
また、岩殿城主小山田信茂の裏切りに合い、勝頼主従は天目山を目指しましたが、
織田、徳川の連合軍に行く手を阻まれ、ついに三月十一日、勝頼以下一族と家臣は自決し、
新羅三郎義光以来五百年続いた甲斐源氏も滅亡したのだそうです。
狛犬?獅子?
このような彫刻が左右1対ありました。
これは
何でしょう?
お庭も有名なようです。
建指定の文化財になっているようです。
典型的な江戸時代初期の手法だそうです。
築庭者は三枝枝守全と考えられているそうです。
詳しい事を知っている方は、是非 教えてください。
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