坂本龍馬脱藩の道
という昔の細い道が
あります。
この茶堂にも、立ち寄ったかも知れませんね?
梼原町の明治維新の志士
掛橋和泉邸宅を移築した物だそうです。
代々神職をしていたそうです。
幕末には遠近の同士が良く立ち寄り、時局を談じたそうです。
天井が低く
階上に、危難の時に隠れる
『姫の間』がありました。
天井高も低く、光も入りません。
細い道です。
現在は、舗装されていますので
楽に歩けましたが
龍馬たちの時代は、どんな道だったのでしょうか?
この橋は、木製で
御幸橋と呼ばれ
訪れる方々の目を引いているそうです。
屋根もあり、橋を渡っているという感覚は無く
神社へ続く神聖な道みたいな感じでした。
なんだか作業をしていて
車が正面にあり
残念な写真になってしまいました。
パワースポットとしても有名なようです。
樹齢400年と言われる
ハリモミの木があります。
文禄元年(1592年)津野親忠と中平左京亮光義が
長宋我部軍として朝鮮に遠征した際に持ち帰り、植栽したと伝えられている木です。
直径 130cm
樹高 37m
通称『朝鮮松』と呼ばれているそうです。
三島神社を過ぎ
山道になります。
森林浴と楽しみながら
歩きました。
また賑やかな街並みを歩いて
維新の門があります。
坂本龍馬は、勤王郷梼原から那須俊平・信吾父子の案内で盟友澤村惣之丞とともに、回天の偉業を夢見て脱藩したそうです。
梼原町にゆかりのある六志士に、
坂本龍馬、沢村惣之蒸を併せた八人の銅像が建立されていました。
この地からも吉村虎太郎、前田繁馬、中平龍之助が国境を越え維新の動乱の渦中に身を投じたそうです。
また、これらの志士を身を賭して支える掛橋和泉があったそうです。
それから年を経ること6年、明治維新は成り、近代国家が誕生するが、そのとき既に八人の志士は壮絶な死を遂げていたそうです。
いま山中に残る脱藩の道を行くとき、新しい時代の到来を信じ、大きな夢を抱いて峻険を掛け抜けた男たちの決意が偲ばれます。
『ここに志士の足跡が残る地を選び、八志士の群像を建て「維新の門」と名づけ、その功績と英姿を永遠に伝える。近代日本の黎明は、この梼原の地より輝いた。その郷土を誇りとする青年たちの情熱と維新の里の発展を希求する町内外の多くの有志の熱い想いが、この群像を建立した。』との事です。
梼原は山の中ではありますが、素晴らしい歴史のある町なんですね。
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